理学療法学派のカテゴリ記事一覧

理学・作業療法士への情報収集発信、リンク先サイト《筋骨格系理学療法の世界》の補完を目的としたブログです。

カテゴリ:理学療法学派

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2010-06-06 学派その他
今回は、多くの徒手理学療法学派に関する組み合わせや相性について考えてみます。徒手理学療法学派の組み合わせや相性数ある筋骨格系徒手理学療法のコンセプトは以下の2つ分類されます。コンセプトの相性やよく組み合わせて活用しやすいものコンセプトの考え方が別物(あるいは水と油)で組み合わせ困難なもの①に関しては、板場先生の文献を参考というかパクッて一部アレンジして考えています。評価に関してはコンセプトによって...

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2010-05-13 学派その他
先日、パリス骨盤講習会へ参加してきました。受講前は、半年前から申し込んでいたことを若干後悔していましたが、実際に受講した後は有意義な情報が多く得られたことに満足しています。それにしても、人数が半端なく多かった・・・数えてはいませんが50人は間違いなく超えていたような・・・・色々他部位の研修にも参加されているPTに話を聞いても「この人数は異常」とのことで・・開催地が大阪で、大阪というのはAKA-Hの会員数...

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2010-03-11 学派その他
頭蓋仙骨リズムが存在するかどうかはさておいて、頭蓋骨というのは動くのでしょうか??学生の時に使用していた解剖学書には「成人の頭蓋骨には冠状縫合、矢状縫合、ラムダ縫合などにより連結されている。これらの縫合は永久的な連結構造ではなく、骨間の結合組織が加齢とともに退縮し、骨化する」と書かれてあります。本屋の医学書コーナーに置かれているレベルのメジャーな??解剖学書などには頭蓋骨が動くといったことはあまり...

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2009-12-05 理学療法学派
~虚弱体質の克服~ピラティス・メソッドの創始者、ジョセフ・H・ピラティス氏(Joseph H Pilates)は、1880年にドイツ・ドュッセルドルフで生まれた。コアの安定性というプリンシパルを考え出し、運動に適応したのは、他ならぬ彼でした。幼少のころから、くる病や喘息、リウマチ熱などに冒されたことで、ピラティス氏は自分の力で病気を治し、強くて元気な体を取り戻すことに夢中になりました。しかし、医学の知識があったわけで...

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2009-11-30 理学療法学派
1895年、オステオパシーによってすべての治療をするという主張が少なくなった時代、青果商で磁気療法を学んだDaniel David Palmerがカイロプラクティックを創設した。カイロプラクターの中には、マニピュレーションの発見はPalmerによるものであると支持した。しかし、これまでの徒手療法の歴史を見るとわかるように、Palmerが自身の本(1910)で述べた「The Chiropractor’s Adjustor」は新しいものではなく、医学従事者から学んだも...

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2009-11-29 理学療法学派
1874年にAndrew Taylor Stillによりオステオパシーが創設された。Stillはカンザス市の医科大学で医学を学んだ。当時、患者について考える時間を持たない医学について憤りを覚えた非協調性主義者でもあった。1874年6月22日、彼は「太陽の光が一気に破裂したように真実がわかり始めた」とオステオパシーを創始した。患者を注意深く観察しながら、機械的ロックmechanical lockingまたは、他の原因で制限されていた関節が正常になった...

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2009-11-26 理学療法学派
理学療法の世界では・・・・・・・・オーストラリアの理学療法士Geoffrey D Maitlandが段階的な振動法による治療を通じて患者の主観的な所見である症候(symptom)と客観的な所見である徴候(sign)に対処する体系を発展させてきた。ノルウェーの理学療法士Freddy M Kaltenbornは筋骨格系の機能異常に対する治療として関節運動学の原理に基づいたモビライゼーション体系を発展させてきた。Kaltenbornとスカンジナビアの理学療法士の仲...

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2009-11-22 理学療法学派
軟部組織のマニピュレーションは古代の医学記録の中にも記載されており、理学療法のもっとも古い形態の一つである。造られたのが2000年前とも4000年前とも言われているタイの石像にも、明らかに徒手療法を行っているものがある。Hippocrates(BC460-380)は彼の著書「ヒポクラテス全集」の中で今日用いられているモビライゼーションの手技に相当する治療方法について記録している。彼は関節について述べ、牽引とモビライゼーションを...

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2008-04-16 ドイツ徒手医学
ドイツ徒手医学の記事は以下のサイトに引っ越しました。⇒『ドイツ徒手医学を1年間勉強してみて』今後ともよろしくお願いします。...

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2008-02-01 ドイツ徒手医学
この記事は、以下のサイトに引っ越ししました。⇒『ドイツ徒手医学とは』今後ともよろしくお願いします。...

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徒手理学療法の組み合わせや相性

今回は、多くの徒手理学療法学派に関する組み合わせや相性について考えてみます。

徒手理学療法学派の組み合わせや相性


数ある筋骨格系徒手理学療法のコンセプトは以下の2つ分類されます。

  1. コンセプトの相性やよく組み合わせて活用しやすいもの

  2. コンセプトの考え方が別物(あるいは水と油)で組み合わせ困難なもの



①に関しては、板場先生の文献を参考というかパクッて一部アレンジして考えています。

評価に関してはコンセプトによって一部独特なものもありますが、考えがバッティングすることは少ないと思っています。
そして、評価も含めたそれぞれのコンセプトは、学べば学ぶほど相互作用でそれぞれの理解が深まってき、統合して自分のものにもし易いと思います。
ピラティス・ストレッチポールやキネシオテーピングなんかもこの考えなら無理なく?一つの体系として評価・治療の一部に組み込める気がしています。


②に関しては、今までしてきたクリニカルリーズニングから一旦頭を切り替えて別の視点から病態を捉えなおしてアプローチする必要があるものという意味です。
AKA-Hがこれに当たると思いますし、マイオセラピーや「理学療法的ではなくキネシオ的な視点からみた」キネシオテーピングや「本来のスティルの考えを守った」オステオパシーなどのコンセプトは、これに当たるのではと思っています。

※この分類はあくまで主観なため、それぞれ考えはあると思います。
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パリスコンセプト S4骨盤講習会

先日、パリス骨盤講習会へ参加してきました。


受講前は、半年前から申し込んでいたことを若干後悔していましたが、実際に受講した後は有意義な情報が多く得られたことに満足しています。


それにしても、人数が半端なく多かった・・・

数えてはいませんが50人は間違いなく超えていたような・・・・

色々他部位の研修にも参加されているPTに話を聞いても「この人数は異常」とのことで・・

開催地が大阪で、大阪というのはAKA-Hの会員数が極端に多い(考えた先生がおられるので)地域ということで(仙腸関節つながりということで)受講される方もいたのでしょうか?

はたまた、丁度昨年にパリスの教本が出版されて興味のある方が多かったのでしょうか?

あるいは、今までの傾向からしたら骨盤編は数年に一度しか開催されないとのことなので「この機会に」と殺到したのでしょうか?(これが一番濃厚な気もしますが・・・)


このように莫大な人数であったためなのか、元々こういうカリキュラムなのか、単純に時間配分に誤りがあったのかは分かりませんが、かなり坐学に時間を割いた講習となっていました。


私は実技というより臨床に役立ちそうな情報を増やしたかったので結果的に良かったのですが、もう少し坐学・実技(特に予定表には書いてあった軟部組織テク)のバランスが取れていたほうが良いのではとも思いました。


情報メインでは、初心者にとって

①知識が役立たず、「物知り」になっただけで終わってしまう

あるいは

②無理に技術を使おうとして症状を悪化させてしまう

のどちらかに陥る可能性もあるのではと思います。



ですが実技は、

実際に先生の施行も体験したり、

それとパートナーのを比較したり、

パートナーに比較されてフィードバックを受けたり、

からだの使い方を指導されたりして

どんどん上達するものだと思うので、1対50以上(しかも通訳なので時間がかかる)で丁寧に指導するのは無理があり、はやはり今回のように坐学に時間を割くほうが受講生にとってはメリットが多いのだろうな~と思いました・・(ってか普通は人数制限設けるはずなんですけど・・・)


教えてくださった先生はアメリカ人で、初の通訳付き講義にはじめは戸惑いましたが、可能な限り臨床に結びつくように坐学を展開してくださり好感が持てました。

骨盤というのは動きが少なく形状の多様性があってバイオメカニカルなモデルの原則と実際は異なることも多く、難しい分野ではありますが、「様々な意見がある」ということも強調しながら深みのある話を聞けたのではと思います。



特に自分にとって有意義だった点は

①骨盤の運動が一層イメージし易くなった

②筋・筋膜や靭帯による「つながり」に意識が向くようになった

③骨盤不安定性に対する介入の視点が増やせた

④評価に対する信頼性・妥当性について考えるきっかけになった

だと思います。



今後は、得られた情報をしっかりと「臨床に生かせるように」工夫していこうと思います。
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頭蓋骨は動くのか?

頭蓋仙骨リズムが存在するかどうかはさておいて、頭蓋骨というのは動くのでしょうか??


学生の時に使用していた解剖学書には「成人の頭蓋骨には冠状縫合、矢状縫合、ラムダ縫合などにより連結されている。これらの縫合は永久的な連結構造ではなく、骨間の結合組織が加齢とともに退縮し、骨化する」と書かれてあります。

本屋の医学書コーナーに置かれているレベルのメジャーな??解剖学書などには頭蓋骨が動くといったことはあまり書かれていないように思います。


そんな中で、「カパンディの関節生理学」という本には、縫合部における動きは微小ではあるものの存在するのではないかと推察されていました。



「カパンディの関節生理学」という本は、理学療法士の間では比較的知名度があり、学生の時は「ややこしいな」と思いつつも勉強した記憶があります。

また、卒業してからはドイツ徒手医学でカパンディの考えや資料が多く採用されているために、筋骨格系の機能解剖の理解を深めるために部分的に読んだりしています。

ただ、どうもこの本と僕は相性が悪いらしく、この本で調べ事をしたついでに他の部分も勉強しようとしても5分ともたず本を閉じてしまいます(汗)。
 
文章に引き付けられないというか、どんどん睡魔に襲われたり、気づいたら別のことを考えてたりしちゃってます。
 
絵を眺める分には楽しいのでパラパラめくったりはするのですが・・・・
 



脱線しましたが、まずこの本には「青年期までは脳の成長を伴いうるわけで、これにより頭蓋骨の可動性は説明される」と書かれてあります。

他の解剖学書にも同様に、新生児の頭蓋骨に関しては骨と骨の間には泉門という膜の部分が残っている(1歳半で閉じるらしいですが)と書かれているので、青年期までは動くと思われます。



問題は大人になってからの話ですが、カパンディの本には頭蓋骨の縫合をジグゾーパズルのピースの形に例えて書かれています。


カパンディ
↑画像は「カパンディ関節の生理学 脊柱・体幹・頭部」より引用

パズルのピースとピースをはめ込んだ状態で、それを横へ引き離すように動かしてもビクともしません。

しかし、上下へ滑らせる方向、あるいはピースとピースを近づけるというかポキっと折る方向に力を入れると簡単に外れ(動き)ます。

言葉で表現するのは難しいですが、とても分かりやすい絵で表現されているので、もし興味がありましたら是非書店でカパンディの本を読んでみてください。

最後にカパンディは縫合における微小運動を支持する理由として、「これらの縫合における微小運動が存在していなければ、進化の過程でこれらの縫合は消失しいたであろうからである」としめくくっています。



オステオパシーやカイロプラクティックなどの教本には、頭蓋骨に対する治療法が存在しているので、もちろん頭蓋骨が動くことが前提で機能解剖が書かれているものも沢山あります。

とある文献によると、1980年代初めにミシガン州立大学のCollege of Osteopathic Medicinが実験によって潜在的に頭蓋骨が動くことを発見したことや、頭蓋骨の一つ一つが動くのを妨げる縫合線の骨化が全く証明されなかったという内容が書かれてあったりします。

しかし、実験の詳細は不明です。また、証明されたのであれば何故メジャー??な解剖学書には骨化すると書かれてあるのか?カパンディさんは、何故証明された動きに対して「私は動いているのではないかと思う」と推察しているのか??

まぁ、仙腸関節は動かないと言っている解剖学者もいるみたいですし、それと同じで色んな意見があるということにしておきましょう・・



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ピラティスの歴史

~虚弱体質の克服~

ピラティス・メソッドの創始者、ジョセフ・H・ピラティス氏(Joseph H Pilates)は、1880年にドイツ・ドュッセルドルフで生まれた。コアの安定性というプリンシパルを考え出し、運動に適応したのは、他ならぬ彼でした。

幼少のころから、くる病や喘息、リウマチ熱などに冒されたことで、ピラティス氏は自分の力で病気を治し、強くて元気な体を取り戻すことに夢中になりました。しかし、医学の知識があったわけではなく、すべてが独学。ピラティス氏はボクシング・レスリング・ボディービルディング・機械体操などのパワーと筋力を重視する西洋的な鍛え方だけではなく、ヨガ・禅・マーシャルアーツなど心身を鍛える西洋の伝統的な方法も高く評価して学んだことが知られています。今で言うところの、解剖学や生理学も吸収していきました。そしてピラティス氏のユニークなところは動物の動きを観察に没頭したことです。このことを、自らの言葉で綴っています。

「体の隅々まで勉強した。実際に体を動かしながら、頭に叩き込んでいった。子供のころの話だが、森に出かけては、寝そべって、何時間も何時間も、動物の動きや、動物の母親が子供を教育する様をじっと観察した」

西洋と東洋の叡智を融合し、やがてピラティス氏は、オリジナルのエクササイズ法を生み出して、心と体を鍛えていきます。14歳の頃には、病気を克服したばかりか、機械体操、スキー、ボクシングなどをすっかりマスターしていました。解剖のデッサンのモデルとして、その磨きのかかった体を披露したこともあります。


~ピラティスエクササイズの誕生~

1912年.32歳の時に、ピラティス氏はイギリスに移ります。ここでは、護身術のインストラクターやサーカスのメンバーとして働きました。第一次世界大戦中は、他のドイツ人と共に「敵国の人間」としてランカスターという町に拘留されていましたが、ここでも、ピラティス流エクササイズの理論や方法を在監者たちに教授しています。いわゆるマットワーク(マット・ピラティスの誕生です)。

当時は悪性のインフルエンザが流行しており、イギリス中に死者が出ました。在監者の多くもこの病に倒れましたが、ピラティス氏のエクササイズを行っていた仲間たちは無事でした。エクササイズが体の免疫機能を高めたからだと考えられています。

終戦も近くなると、ピラティス氏はマン島という小さな島に移監されました。ここで看護師/ケアテーカーとなり、戦争で傷を負ったり、病に冒された患者の世話をしました。リハビリテーションのための器具や、背筋を伸ばし、コアを強くして、腕や足の動きを改善するエクササイズ法を考案し、治療に役立てたのです。ベッドで寝たきりの患者のために、ベッドと壁の間にバネを仕掛け、抵抗運動が出来るようにしたり、椅子や寝台等使えるものを利用して、リハビリ器具を発明していきました。これらは、やがてピラティス・エクササイズのスタンダード器具となり、現在でもピラティススタジオで広く使われています。

こうした経緯から、終戦後はイギリス軍のエリート部隊を、1920年代になって故郷のドイツに帰国した後は、ドイツ軍とドイツ警察を指導する立場となっています。


~ニューヨークでの開花と大発展~

1926年、ピラティス氏はアメリカに移住しました。新大陸に向かう船の中で、後の妻となるクレアと出会い、二人はニューヨークの八番街に最初のピラティス・スタジオをオープンしました。やがてそのスタジオは評判となり、1930年代から1940年代にかけてパフォーマーや、器械体操の選手、スポーツ選手、トップクラスのバレエダンサーをらが押しかけてきました。

1967年に亡くなるまでに、ピラティス氏はフィットネスの著書と新考案の器具を数多く残しました。著書の中で紹介されているエクササイズ(ムーブメントと呼びます)は500点以上にも及びます。

ピラティス氏が直々に指導した愛弟子は生涯でたった数人といわれています。この数名が、その後もピラティス氏から教授された「哲学」を伝え続けています。その一方で、ピラティス・エクササイズはさらに進化し、枝分かれして、世界中でピラティス的エクササイズとして教えられるようになりました。ピラティス氏の死後、コアの安定化を図るエクササイズを対象とした研究が進み、現代の医学的知識とともに、その効果が認められてきています。時代とともに枝分かれし、改良が加えられ、元来のリハビリテーションはもとより、プロスポーツ選手向けのトレーニング方法としての地位も獲得しました。近代では、フィットネス・エクササイズとして、ヘルシーかつダイエット効果の高いエクササイズとして、世界中で愛されるようになっています。人気の裏には、ハリウッドのセレブたちがピラティス・エクササイズの効果の高さに気づき、傾倒した事実があったとも言われています。


~広く使われているピラティス~

これからのピラティス・エクササイズは、大きく分けて2つの支流に枝分かれしていこうとしています。ひとつは、医療としてリハビリテーションを目的としたタイプ。もうひとつは、フィットネスとして健康促進を目的とするタイプです。前者は医師や運動生理学者・理学療法士・カイロプラクターなどによって処方され、後者はフィットネスインストラクターによって指導されていくことでしょう。

創設者が考案したオリジナルのエクササイズは、それぞれの目的に沿うように、削除されたり変更されてきました。そして、研究の結果に基づいた改良も行われてきました。こうして進化を続けるピラティス・エクササイズですが、今でも変わらないものがしっかり残されています。それは、腰椎~骨盤の安定性、肩甲骨~肩の安定性へのこだわりです。ピラティス氏の意志は、今でも脈々と受け継がれているのです。先に2つの支流と書きましたが、やがては2つの大きな本流となって、世界中の人々の健康維持や管理に貢献していくことでしょう。

ピラティス氏は、晩年86歳の時に、こんな言葉を残しています。
「私のやり方は正しいんだ。私を見て欲しい。アスピリンを飲んだことはないし、怪我をした日は一日だってない。国中(アメリカ)が、世界中が私のエクササイズを行えば、もっと幸せな毎日が送れるはずだ」
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理学療法の視点からみたカイロプラクティックの歴史と現在

1895年、オステオパシーによってすべての治療をするという主張が少なくなった時代、青果商で磁気療法を学んだDaniel David Palmerがカイロプラクティックを創設した。

カイロプラクターの中には、マニピュレーションの発見はPalmerによるものであると支持した。しかし、これまでの徒手療法の歴史を見るとわかるように、Palmerが自身の本(1910)で述べた「The Chiropractor’s Adjustor」は新しいものではなく、医学従事者から学んだものであったことがわかる。

Palmerの執筆した本には「脱臼した椎骨の整復は何千年の間行われてきた。私の最初に知人であり、医師であるJim Atkinsonは50年前、アイオワ州のダベンポートでマニピュレーションを使用していた。彼は一生をかけて、今日カイロプラクティックとして知られる彼の理論を広めようとした」と記されている。

このように、カイロプラクティック・マニピュレーションの基礎は、従来の医学から学んだことにあった。


興味深いことに、HippocratesとGalenが脱臼した椎骨を最初に整復した人物であると確認したのはPalmerであった。


Jane、HouserそしてWellsによって定義されたカイロプラクティックの理論的根拠は、以下の通りである。
①椎骨は亜脱臼する
②亜脱臼した椎骨は椎間孔を通っている神経・血管・リンパを圧迫する可能性がある
③その結果、脊髄、脊髄神経、自律神経の相当するレベルは障害され神経伝道障害を受ける
④神経支配を受けている器官は異常な状態となり、病気となる、または病気にかかりやすくなる
⑤亜脱臼した椎骨の整復は椎間孔での組織の圧迫を除去し、異常となった部位に正常な神経支配、そして機能を回復させる。

カイロプラクティックの異常の理論は「神経の法則 The Law of the nerve」として有名となった。


カイロプラクティックが「マニュピレーションにより全てを治療することができる」と主張して以来、正当な医学の標的とされた。

しかし、1970年 National Institute of Neurological Disease and Stroke後援の脊柱マニピュレーション療法の研究についての学会がワシントンで開催され、このときカイロプラクティックは亜脱臼の定義を「現在知られている脊柱の機能不全を含む」と改定した。この定義の改定により、カイロプラクターは保険の適当となった。

 
現在最も大規模となったカイロプラクターの養成校2校 Life in AtlantaとLife in Califoruiaを中心に、すべての学校で伝統的理論を教育している。伝統的理論だけでなく、関節運動を重視する理論も取り入れるようになったのは1975年のNational Institute of Neurological Disease and Stroke会議からである。

現在、伝統的なカイロプラクティックと「mixer」と呼ばれる今日の理学療法の考えを混合したカイロプラクティックが存在するが、多くのカイロプラクターがmixerとなってきているため、伝統的なカイロプラクティックは衰退してきている。


※ここでいうカイロプラクティックの歴史は米国におけるものを指している
※ここでいうマニュピレーションとは「洗練された関節への他動運動 the skilled passive movement to a joint」を指している
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理学療法の視点からみたオステオパシーの歴史と現在

1874年にAndrew Taylor Stillによりオステオパシーが創設された。

Stillはカンザス市の医科大学で医学を学んだ。当時、患者について考える時間を持たない医学について憤りを覚えた非協調性主義者でもあった。

1874年6月22日、彼は「太陽の光が一気に破裂したように真実がわかり始めた」とオステオパシーを創始した。患者を注意深く観察しながら、機械的ロックmechanical lockingまたは、他の原因で制限されていた関節が正常になったことにより、その患者の病気も改善したことを確認した。


Stillは神経・血液の流れのことについて「病気が人間の体に破壊の種を蒔きはじめてすぐにすぐに動脈の破壊が始まる。神経・靭帯・筋肉・皮膚・骨そして、動脈自身に栄養を供給している動脈の流れを破壊・停滞させる」と述べた。例外なく全ての病気・変形を解決することを望んだ彼は、いくつかの動脈または静脈の中に一つまたはそれ以上の閉鎖部位を発見した。「動脈の規則は完全なものであり普遍である。動脈は閉塞されてはならない。閉塞は病気を生む」と述べ、オステオパシーの間で「動脈の法則 The Law of the Artery」として知られることとなった。


オステオパシーの概念は①体は単一体②構造と機能は互いに関係している③体は単一体の特徴としての自然制御・機能と構造の相互作用に基づいて、合理的な治療を受けることで自然回復するメカニズムを持っている ことであった。


オステオパシーは発展し医学の先端となっていった。その結果、19世紀後半までに「すべてを治療する」という主張は少なくなった。


オステオパシー(D.O)は法令により、1928年までに軍隊の中で医師(M.D)と同等の権力を得た。1970年までにそれぞれの州で同様な事が起き、今日ではマニピュレーションよりも医学的知識に専念している。多くのオステオパシーの病院において、理学療法士がマニュピレーションを行い、あるところでは理学療法士がオステオパシーの指導もしている。


1989年、オステオパシーの分家William Garner Sutherlandは頭蓋縫合の複雑さ、構造に驚愕し、後に知られる頭蓋療法cranial osteopathyを考案した。現在の頭蓋仙骨テクニックは、頭蓋のリズムcranial rhythmの機能不全の評価と、微妙な触診による治療のため、熟練した技術を必要としている。


現代ではマニピュレーションを使用するオステオパスは少ない。そのため、マニュピレーションを必要とするときは理学療法士を雇っていることが多い。

疑いもなく現代医学の勉強に忙しく、熟練した徒手療法技術を学ぶ時間はない。結果として多くのオステオパスがカイロプラクター、理学療法士に頼っている。


可動域制限に対して伝統的なマニピュレーションを使用するオステオパスもいる。しかし、最も力のあるグループはMitchellの技術を継承したものであり、椎骨の変位に重点を置いている。皮肉なことに、カイロプラクティックは位置の変位から運動制限に重点を置くようになったにも関わらず、オステオパシーはミシガン州を中心に卒後教育の中で位置の変位について強調している。


オステオパスは、他の医療従事者によるマニピュレーションの発展・利用に対して反対しなかった。実際、多くの卓越したオステオパスが理学療法士に指導した。そして、理学療法士から技術教育の要請を、オステオパシーの雑誌に掲載した。

※ここでいうオステオパシーの歴史は米国におけるものを指している
※ここでいうマニュピレーションとは「洗練された関節への他動運動 the skilled passive movement to a joint」を指している
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理学療法士の視点からみた徒手療法の歴史②

理学療法の世界では・・・・・・・・


オーストラリアの理学療法士Geoffrey D Maitlandが段階的な振動法による治療を通じて患者の主観的な所見である症候(symptom)と客観的な所見である徴候(sign)に対処する体系を発展させてきた。


ノルウェーの理学療法士Freddy M Kaltenbornは筋骨格系の機能異常に対する治療として関節運動学の原理に基づいたモビライゼーション体系を発展させてきた。Kaltenbornとスカンジナビアの理学療法士の仲間は脊柱の機能異常を主たる2つの原因、すなわち椎間板の変性と椎間関節の機能異常に分類した。治療は運動性がなくなった場合と痛みがある場合に行われる。痛みの治療は温熱を利用したり、電気を利用したり、特別なマッサージを行ったり、収縮―弛緩(contract-relax)の手技など、通常の理学療法技術を用いて行われる。運動性がなくなった部分の治療では、障害のある部位を見出し、その上下の関節を固定した後で運動制限のある方向へ最小限の力でスラスト(thrust)を加えて関節の運動を正常にする。


Robin A McKenzieはニュージーランドの理学療法士であるが、腰痛の分類方法を開発した。それには姿勢症候群(postural syndrome)、機能異常症候群(dysfunction syndrome)、そして内障症候群(derangement syndrome)がある。彼は座位姿勢を長くとる習慣によって起こるよう腰椎前弯の減少をきたしている腰痛症や椎間板変性の腰痛に対して伸展原理の治療法を開発した。また、頚部や腰部の痛みに対する治療においても、他動的に伸展や屈曲を行うことが有効であると提案している。加えて、彼は患者に自らが治療に参加し、そして将来症状が悪化するのを患者自身が責任を持って予防する必要があると教えることを強調している。


Stanley V Parisはニュージーランドの理学療法士で、1960年代にニュージーランドの理学療法士の学校でマニピュレーションを教え始めた。彼はMaitlandやKaltenbornと異なり、脊柱の機能異常の主たる原因は椎間関節の機能異常だという概念を主張してきた。1970年代初頭に彼はアメリカ合衆国で理学療法士を対象にモビライゼーションとマニピュレーションのコースを始めた。彼の努力により、米国における理学療法士の考え方に従来の処方されて理学療法を行う様式から、理学療法士自らが完全な評価と適切な治療を行う様式へと劇的な変化をもたらせた。


過去100年の間に内科学や外科学の分野では大きな進歩が見られたが、伝統的な医学界には整形徒手療法(orthopaedic manual therapy)の発展とそれを利用することに対する抵抗がいまだに存在している。それにも関わらず、過去の50年の間に筋骨格系の機能異常を治療するための多くの体系が発展してきた。しかし、それぞれの体系は異なる考え方と治療手技を主張している。これらの不一致は通常機能異常の原因と痛みの治療に関連している。
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理学療法士の視点からみた徒手療法の歴史 その①

軟部組織のマニピュレーションは古代の医学記録の中にも記載されており、理学療法のもっとも古い形態の一つである。造られたのが2000年前とも4000年前とも言われているタイの石像にも、明らかに徒手療法を行っているものがある。


Hippocrates(BC460-380)は彼の著書「ヒポクラテス全集」の中で今日用いられているモビライゼーションの手技に相当する治療方法について記録している。彼は関節について述べ、牽引とモビライゼーションを用いた骨折の整復方法、すなわち患部の緊張を取り除き手掌でそこを整復する方法について記述している。


中世のヨーロッパでは医学知識が全体的に衰退していった。そして、カトリックの教会が全ての治療の責任を負ったが、手術は禁じていた。


ルネッサンスの時代には、有名な医師であるAmbroise Pare(1510-1590)がマニピュレーションによる脱臼の治療方法について詳細を述べた。


17世紀になるとイギリスでは整骨(bone setting)が広く行われるようになった。整骨師(bone setters)の手技は専門家の家系の中で秘密にされ、代々伝えられていた。
彼らは四肢や脊柱のマニピュレーションによって正常の位置からずれた骨を元に戻すと信じていた。

実際に、古くから19世紀にいたるまで首尾一貫してマッサージやマニピュレーションについて医学書の中で唱えられてきたが、これら2つの違いに関しては必ずしも明確ではなかった。
ボストンのGraham(1884-1918)はマッサージは手で行ういかなる手技も含み、摩擦やマニュピュレーションはその例だと述べた。
ロンドンのWilliam Merrell(1853-1912)はマッサージを科学的なマニピュレーションによって疾病の特定の症状を治療する科学的方法と定義した。
「マッサージ」という用語は医学の歴史を通して、他動的可動域運動、モビライゼーション、そしてマニピュレーションを含む多くの意味を持つようになったのは明らかである。
いかなる場合においても、用語の意味はどうあれ、ヨーロッパでは多くのものがマニピュレーションや他動的運動について唱えていたが、従来の医学はこの考えを受け入れなかった。


アメリカ合衆国では2つの治療者の領域、すなわちオステオパス(整骨療法家:osteopaths)とカイロプラクター(脊柱指圧師:chiropractor)が発達した。
彼らは競い合ってきて、今日ではそれぞれ完全に独立している。
初期には両者ともマニピュレーションにより全ての疾病を治療すると主張した。
このことは医師を激怒させ、マニピュレーションは存続できるような治療手技ではないと軽視される原因となった。


20世紀になると徒手的な実践が科学として発展してきた。
20世紀初頭から1934年までの間に医学界では徒手的療法に関するいくつかの文献が出版された。
この時期は脊柱の手術手技の進歩もあった。
1934年にMixterとBarrは、椎間板ヘルニアの外科的摘出術による坐骨神経痛の治療について発表した。この後、医学的関心が全て外科に移り、椎間板が腰痛の主たる原因と考えられるようになった。
そして、マニピュレーションはオステオパスやカイロプラクティック、ほんのわずかな臨床医が行うだけとなった。

1950年代に入ると、徒手的療法にも新たな進歩が現れた。1952年に医師James Mennelは「関節マニピュレーションの科学と芸術The science and art of joint manipulation」を著し、腰痛の原因として、椎間関節・組織の癒着・軟部組織の外傷性捻挫が関連していることを示した。


イギリスの整形外科医であるJames Cyriaxは、1957年に「整形外科教本第3版Textbook of orthopaedic medicine 3rd ed」を著し、軟部組織が原因の痛みと機能障害の診断と治療手技について述べた。
彼はほとんど全ての脊柱の痛みは椎間関節の破裂によって起こり、これはマニピュレーションと牽引によって改善できると信じていた。
彼は訓練され筋骨格系に関する専門的な知識・技術があると認められた理学療法士がマニピュレーションを使用することへの熱烈な支持者であった。


1960年代には医師Jhon Mennelは「関節痛 joint pain」を出版し、科学的な関節マニピュレーションを推進し、世界中に教えた。
医師Alan Stoddardは理学療法士にオステオパシーの手技を教え、彼の2冊の本「オステオパシーの実際 Osteopathic practice」と「オステオパシー手技Osteopathic technique」は徒手的療法士の重要な参考文献となっている。

・・・・・・・・つづく。
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